自信があったりなかったり

古賀先生は佐賀をベースにして世界に目を向けた人だった。当時31歳の先生はこんな事を言っていた。

「日本の、いや、世界の多くの人にとって、佐賀は存在していない。だが、我々は、あせらず、一歩一歩、地道に歩んで行くしかない。佐賀でやるのは間違っている、佐賀では無理だ、と考えている人達が多いからこそ、佐賀で頑張ることが必要なのだ。
人間に不可能はない。佐賀でできないこともない。佐賀のみんな、今年は、一つガーンとでっかいことやって世界に佐賀あり、という所を見せてやろうではないか。」

僕は佐賀でこれからやっていけるのだろうか。自信があったりなかったりする毎日だ。古賀先生も不安だったのだろうか。

最近、ネットでワークショップランドと言う会社を経営している川北龍玄英樹さんのサイトを発見した。人生を楽しむわくわくを広げることを目的として作られた団体だそうだ。メールをしてみたらすぐに返ってきて、なんて優しい人だと思った。龍玄さんが言っている言葉に勇気をもらった。

「勇気ってものすごいビビってる自分と一緒に前に進むってことなんやろな。多分。」

「ごくたまに、ぐっとくることをやろ。それでええ。それがええ。」

あせってはいけない。地道って言う事が今とても大事なのだろう。徐々に頑張ろう。

コメント

匿名 さんのコメント…
古賀先生が31歳というと丁度佐賀日仏文化会館と古賀英語道場を立ち上げられてまもなくですよね。
古賀先生は、きっと色んな将来の構想を持って日仏を立ち上げられたのだと思います。そして、日仏をやっていくうちに色んな新しいアイディアが生まれて 今の地球市民の会へ移行して行ったのではないでしょうか。

Tatsuyaさんの場合、古賀英語道場をそして、地球市民の会をこうしようという構想を持って佐賀に帰ってきたのではなく、今までは、経営に関しては全くの部外者で、今回ただ純粋に古賀先生の遺志を継ぎたいということで帰ってきたのですから、古賀先生が日仏を、そして道場を、、地球市民の会を立ち上げられた時と随分状況も立場も随分違うと思います。
だからあまり先生を意識せずにTatsuyaさんの今できることから徐々にやっていけばいいのではないですか?

・・・・っていつかこんなことずでに書いたかな?何度もおなじことを書いていたらごめんなさい!

帰佐はTatsuyaさんにとって とても大きな人生の決断であり、分かれ目だったと思います。だから今の揺れてる気持ち解るような気がします!

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