幼なじみとの幸せな一時
昨夜は2時まで幼なじみ達が一緒に飲んでくれた。「あぶさん」で道場で一緒に育った6人で飲んでいた。僕を佐賀に迎えてくれたちょっとした集まりで、「これから佐賀にいてくるっとの嬉かよ」と言う言葉にまた泣いてしまった。これをきっかけで第一水曜日は「人間ラグビーズ」と言う会が始まることになった。
人間ラグビーとは空手の練習の一つとして恩師がやっていたもので、とても体が痛い事も起きる荒い遊びだった。人間ラグビーを知っている人は世の中にそんなに居ない。こんな6人で集まると昔の古賀道場の話しはつきない。
道場で育った人達と大人になって関わった人達とは価値観が違うと誰かが言っていたのを思い出す。僕が夢だった仕事を辞めて、これから人生をかけてやろうとしている道場の事に対して、応援してくれる人達もいれば、やる前から上手くいく事はないと思っている人もいる。当然、今までやってきた事とは全くちがうのに、僕になんか出来ないと思われている人もきっといるだろう。経営の大変さとか子供が減っている事とかも関係しているのはもちろんだ。
僕が道場に5歳の時に連れて来られたのは親友で古賀先生の甥っ子だったYっちんおかげだ。Yっちんが英語の暗唱を覚えようとしているのを一回聞いただけで僕は全部覚えてしまった。それにびっくりした古賀先生は「お前は天才ぞー」と言われてすぐに僕は古賀道場に通う事になってしまった。あの頃からおだてるのも上手だった古賀先生だったのは間違いない。5歳の僕も影響を受けやすかったのだろう。
そんなYっちんが仕事場で「こらから達也は受験英語ば教ゆっとかな」とつぶやいていたら、急に棚の上から段ボールが落ちてきたそうだ。古賀先生がきっと「そげんことはなか」と言ってくれたのだろう。Yっちんに限らず僕を応援してくれている人達が言ってくれるのは、僕が古賀先生になるのは無理だから、自分なりに自分の色を出していけばいいということだ。受験英語なんてきっと教えることも出来ないし、教えるつもりもない。英語は話せて伝わらないと意味がないものだ。古賀先生にはずっと英語は道具に過ぎないと言われて来た。だから、僕も英語を活用して色んな事が出来る子供達を育てたいと思う。
あまり見ないテレビをつけたら、偶然なのだろうけど、この言葉がやけに重く響いた。「今の自分を受け入れなさい。」
はたして、僕が今の自分を完全に受け入れられているだろうか。色んな意味で。それにはもうちょっと時間が必要なのかも知れない。
米原万里が今読んでいる「魔女の1ダース」で語っていた。「幸せとは、自分を見つめる、もう一人の自分が、自分に満足であるときに感じる心の状態である。満足のノルマをどこかに置くかで、幸せの度合いも左右される。」
僕の満足のノルマは高いのだろうか...考えさせられた。
人間ラグビーとは空手の練習の一つとして恩師がやっていたもので、とても体が痛い事も起きる荒い遊びだった。人間ラグビーを知っている人は世の中にそんなに居ない。こんな6人で集まると昔の古賀道場の話しはつきない。
道場で育った人達と大人になって関わった人達とは価値観が違うと誰かが言っていたのを思い出す。僕が夢だった仕事を辞めて、これから人生をかけてやろうとしている道場の事に対して、応援してくれる人達もいれば、やる前から上手くいく事はないと思っている人もいる。当然、今までやってきた事とは全くちがうのに、僕になんか出来ないと思われている人もきっといるだろう。経営の大変さとか子供が減っている事とかも関係しているのはもちろんだ。
僕が道場に5歳の時に連れて来られたのは親友で古賀先生の甥っ子だったYっちんおかげだ。Yっちんが英語の暗唱を覚えようとしているのを一回聞いただけで僕は全部覚えてしまった。それにびっくりした古賀先生は「お前は天才ぞー」と言われてすぐに僕は古賀道場に通う事になってしまった。あの頃からおだてるのも上手だった古賀先生だったのは間違いない。5歳の僕も影響を受けやすかったのだろう。
そんなYっちんが仕事場で「こらから達也は受験英語ば教ゆっとかな」とつぶやいていたら、急に棚の上から段ボールが落ちてきたそうだ。古賀先生がきっと「そげんことはなか」と言ってくれたのだろう。Yっちんに限らず僕を応援してくれている人達が言ってくれるのは、僕が古賀先生になるのは無理だから、自分なりに自分の色を出していけばいいということだ。受験英語なんてきっと教えることも出来ないし、教えるつもりもない。英語は話せて伝わらないと意味がないものだ。古賀先生にはずっと英語は道具に過ぎないと言われて来た。だから、僕も英語を活用して色んな事が出来る子供達を育てたいと思う。
あまり見ないテレビをつけたら、偶然なのだろうけど、この言葉がやけに重く響いた。「今の自分を受け入れなさい。」
はたして、僕が今の自分を完全に受け入れられているだろうか。色んな意味で。それにはもうちょっと時間が必要なのかも知れない。
米原万里が今読んでいる「魔女の1ダース」で語っていた。「幸せとは、自分を見つめる、もう一人の自分が、自分に満足であるときに感じる心の状態である。満足のノルマをどこかに置くかで、幸せの度合いも左右される。」
僕の満足のノルマは高いのだろうか...考えさせられた。
コメント
何か新しいことをしようとする時は、そこにはだかる壁はつきものです。
まずは、自分に出来ることから始めればいいのではないですか?
Tatuyaさんを応援してくれている人達も沢山いるのですから!!
誰も古賀先生にはなれません。でも、古賀先生の意思を自分なりに精一杯受け継ぐことは出来るでしょう。
Tatsuyaさんのままでいいのではないですか?
Step by step・・・・。