古賀先生とのメール

1月から3月にかけて、僕は古賀先生と直接メールや電話をして、そして本人と面会して今の決断に至った。その経過をブログで残しておきたい。


1月14日
アメリカへ帰国してからまだ数日ですが、古賀先生と古賀道場のことが頭を離れません。古賀先生の体の事、古賀道場の行方、自分の将来の事を色々と考えています。僕が佐賀で古賀道場で出来る事があるのではないかと思っています。それを今まで、「命のまつり」に出会うまで気付きませんでした。神様や仏様が僕に呼びかけているようにも思えるくらい、僕の生まれて来た意味を果たすのはアメリカでは無いとやっとわかりました。心が揺らいで悩んでいます。まだまだ未熟でこんな僕ですが、いずれは古賀先生の元に置かせてください。まだまだ古賀先生に僕は教えてもらいたいことが山程あります。素晴らしい日本男児として佐賀人として生きて行きたいと思います。青柳達也

1月16日
その後の調子はどうでしょうか?携帯番号を失くしたので、お送りください。お話がしたいです。青柳達也

1月16日
090xxxxxxxxです。感謝しています。昨日から又治療が始まり出ない事が多いよ。古賀武夫

1月17日
運命的に古賀先生が携帯に出られて、僕の志をメールで告げるように言われる。抗がん剤のせいで話すのも辛そうだった。胸が痛んだ。

1月18日
古賀先生が近いうちに亡くなってしまうと知った時に、初めて僕が佐賀に帰ってくる理由があるのではないかと思いました。

僕は古賀英語道場と言う空間がこれからずっと残って行って欲しいと思います。色々な変わった人が集まる場所として、またみんながこれからも帰って来ることができる場所として。

僕が「夢の学校」もしくは英語道場でできることは演劇と英語を教える事と演劇やミュージカルを指導・監督できる事に限られています。ですが、古賀先生が古賀英語道場を創設した時と同じ30代のエネルギーが僕にはあります。今まで英語道場が教えて来たものを「夢の学校」が受け継いで行くのであれば、「夢の学校」を作る事を引き継ぎたいです。そこで、僕は教えながら、演劇をやりながら、「夢の学校」を大きくして行きたいと思います。

それを僕が日本で佐賀で出来ること、やりたいことです。

僕がアメリカで出会った夢は演劇。今は演劇の教育者として頑張っています。これからも、ずっとアメリカでそれを続けていくことは十分に可能です。しかし、僕はやはり日本人なのです。本当は日本に帰りたい。日本人として日本の為に貢献したい。日本の子供を教育し世界に羽ばたかせたいのです。

僕がこの13年間アメリカで築き上げて来たものを全部捨てて、社会的に自分の価値が落ちるのを覚悟で、収入が安定しないのも覚悟で、アメリカを出ていくのには勇気がいります。しかし、それが出来るのも近いうちでしかありません。これをチャンスと見るのも、物の見方次第だと思っています。青柳達也

1月20日
先日の長いメールは届きましたでしょうか?ところで、3月10日に僕は古賀先生に会いに佐賀に帰ります。春休みの間で2日しか佐賀にいませんが、ご自宅のほうへ、都合の良い時間にお伺いしたいと思っています。
頑張ってください。達也

1月20日
達也の真剣さが伝わりました。長いメールも短いメールも読みました。こちらの体調も知らせます。達也の気持ちに感激です。ではそれまでお互いに元気で!古賀武夫

1月23日
あたたかいお言葉ありがとうございます。3月10日に会えるのをたのしみにしています。青柳達也

2月17日
一週間の短い春休みですが、日本に帰国します。これからのことなど、古賀先生とお話がしたいです。3月10日に伺いたいと思っています。あと3週間程先の話ですが、お知らせまで。日にちが近くになりましたら、また連絡いたします。青柳達也

2月20日
私にもしがあった場合、洋子先生、大野常務理事、春美先生ほかと相談する様に
手配しています。頑張って待ってます。古賀武夫

2月21日
了解しました。後20日間後に会えるのを楽しみにしています。達也

3月5日
9日1500がいいか10日がいいか?長くは話せないよ。よく考えて来いよ。古賀武夫

3月5日
10日です。時間は何時でもいいです。達也

3月8日
了解。ただ今正念場・・古賀武夫

3月10日
古賀先生宅を訪れた。本人に続けて欲しいと言われ、また、僕の意志も告げた。

3月14日
古賀武夫ブログのコメントで決断宣言をした。

先日は緊急帰国した際、何時間もお話をしていただいてありがとうございました。あの日、エネルギーをちょっと使わせ過ぎて申し訳ありません。古賀英語道場 と言う場所をこれからもずっと残して行きたいと言う意思を古賀先生に直接聞くことができました。また、周りにいる色々な方々、OB やOGの意見も聞くこともできました。古賀先生に帰って来ていいと言う許可を頂いて、これからやるべき事、やらなくてはならない事、僕の居場所がある事を 使命に感じました。現在の仕事を終わらせるのにあと1年3ヶ月必要なので、2009年6月にアメリカ生活を引き払い、佐賀に帰り、古賀英語道場の仕事をさ せて頂きたいのが僕の決断です。

古賀英語道場と言う場所が長い将来に残って行くことは僕だけにとってではなく、沢山の人々にとって重要な 事と思います。色々な変わった人が集まる場所として、またみんながこれからも帰って来ることができる場所として。僕は古賀先生が今まで伝えたて来たこと、 こらからも伝えていきたい事を僕は十分に理解しているつもりです。その上で、僕は僕なりのやり方古賀先生の意思を継ぎ「夢・情熱・感動」を伝えて行きたい です。人としての「心」を次の世代の若者達に継続して行きたいです。

これから僕が古賀英語道場でやっていく事は決して簡単ではないのは承 知しています。僕がこの13年間アメリカで築き上げて来たものを全部捨てて、アメリカを出ていくのには勇気がいります。しかし、それが出来るのも近いうち でしかありません。これは僕にめぐってきたチャンスです。また、僕が一人でこれからやっていくのではなく、周りに同じ意志を持っていて助けていただける人 達が沢山いる事を十分知っています。

5歳の時、古賀英語道場から僕の世界へ向けての夢は始まり、今その原点で新たなる夢ができました。

未熟な僕にはまだまだ古賀先生から教えていただく事がいっぱいあります。師匠として叱ってください。鍛えてください。自分勝手でありますが、待っていてください。
青柳達也

3月16日
再渡米。

3月17日
古賀武夫永眠。

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