End of the Year Banquet
今年も恒例のEnd of the Year Banquetに、黒のスーツとシャツに去年ロンドン・ヒースロー空港で買った真っ白のネクタイで久しぶりにお洒落をして出掛ける。学部の生徒達が約150人程が集まる楽しいイベントだ。食事やダンスをしたり、アカデミー賞を真似したような感じで、ここではアニー賞と呼ばれている今年度の最優秀女優賞などの表彰式もあったりする。
そんな中で、お別れのスピーチをしなくてはならなかった。辞めることを知っていた生徒もいたが、ほとんどの学生達はこの時まで知らなかった。楽しいイベントだから、雰囲気を沈ませてはいけないと思い、最初の方はたくさんのジョークで笑わせる。ちゃんとしたスピーチなんて準備してなくて、ほとんど即興だった。最後にはやっぱりしんみりさせてしまったが...
古賀道場では嫌々やっていた事もある英語のスピーチなんて簡単に今は出来るようになった。
最近、英語の方が日本語より上手いと誰かに言われた。この13年間英語での生活だった僕にとってみたら当然かも知れない。今まで英語はアメリカ社会で生きるための道具に過ぎなかった。英語はシンプルでストレートに表現がしやすい簡単な言語だ。確かに日本語のニュアンスの方が難しい。日本人として日本語が上手く使えず、日本語で最も通じ合いたい人と通じ合えない事は最大の悲劇で、日本語の表現力が僕には足りないのだと気付かされた。米原万里の本を読んだ影響で英語以外の外国語を勉強してみようと思ったが(現在スペイン語をちょっと勉強中)、それよりも日本人として恥ずかしく無い様に日本語をもっと勉強しなくてはならないと実感させられた。
本当の事を正直に言われると、その時は感情的に反応してしまうけど、賞賛されることよりも聞きたくない事を言われることの方が価値があるもので、そんなことを少しでも言ってくれる人が僕の人生に居る事を感謝して、そんな人を大切にして生きて行きたい。
そんな中で、お別れのスピーチをしなくてはならなかった。辞めることを知っていた生徒もいたが、ほとんどの学生達はこの時まで知らなかった。楽しいイベントだから、雰囲気を沈ませてはいけないと思い、最初の方はたくさんのジョークで笑わせる。ちゃんとしたスピーチなんて準備してなくて、ほとんど即興だった。最後にはやっぱりしんみりさせてしまったが...
古賀道場では嫌々やっていた事もある英語のスピーチなんて簡単に今は出来るようになった。
最近、英語の方が日本語より上手いと誰かに言われた。この13年間英語での生活だった僕にとってみたら当然かも知れない。今まで英語はアメリカ社会で生きるための道具に過ぎなかった。英語はシンプルでストレートに表現がしやすい簡単な言語だ。確かに日本語のニュアンスの方が難しい。日本人として日本語が上手く使えず、日本語で最も通じ合いたい人と通じ合えない事は最大の悲劇で、日本語の表現力が僕には足りないのだと気付かされた。米原万里の本を読んだ影響で英語以外の外国語を勉強してみようと思ったが(現在スペイン語をちょっと勉強中)、それよりも日本人として恥ずかしく無い様に日本語をもっと勉強しなくてはならないと実感させられた。
本当の事を正直に言われると、その時は感情的に反応してしまうけど、賞賛されることよりも聞きたくない事を言われることの方が価値があるもので、そんなことを少しでも言ってくれる人が僕の人生に居る事を感謝して、そんな人を大切にして生きて行きたい。
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