Head Fakeのコンセプト
先日ブログに書いたオンラインで見たレクチャーの中で、この教授はHead Fake のコンセプトについて話しをしていた。教育者として、このアイデアをいたってシンプルで色んなところに存在するものだ。僕としては演劇を通じて創造力と言うものを養うような教育をして いるつもりだが、それを上手くやるにはHead Fakeが必要だ。
Head Fake と言うのはバスケ等のスポーツをやっている時に守っている人に対して頭を動かして動きを騙そうとすることだ。それと教育とどう関係があるかと言うと、重要 な事を直接教えるのではなくて、それとはまったく違った物によって大事な事を教えるという事だ。スポーツや武道の教育と同じだ。古賀先生に学んだ事は僕に とってみたら英語や空手では無い。それ以上に大事な事。同じように僕もいつまでも演劇以上なものを教えていたい。
何で僕が今まで大学・大 学院をアメリカにこだわって来たかた言うのはHead Fake にポイントがあるように思える。今では考えられないが、小学校の時は作文がよく書けていた。賞をもらったこともあった。古賀道場ではスピーチも書かされ た。英語劇もやった。恥ずかしがりやな僕でもそう言う事をやらされて自己表現の大切さを学んでいたのだ。そんな教育は中学・高校に進んで行くにつれてだん だんと無くなってきた。学校が楽しかったのはせめて中学までだ。今では佐賀で有名になった進学校に通っていた僕は高校生の時に作文なんて一回も書かなかっ た。Head Fakeなんて物は存在せず、全ては大学受験に向けての物で、そんな環境で自己表現の教育なんて言ってられない。でも、そんな物を求める僕は古賀道場にずっと通っていた。でもそれだけでは足りない。僕は自分がこれから大学受験をして、二流の私立大学に入って、普通に就職して生きて行くのが嫌だった。人生 で何かがしたかった。その何かを探したかった。探す機会が欲しかった。英語はもちろん得意だったから英語圏内に高校留学をしたいと親に告げる。やはり古賀 道場に5歳から通わせてくれて両親は解ってくれた。出来るだけ良い大学に入って良い会社に入ると言う直接的な教育よりも、Head Fake的に他の事をいっぱい学びたかった。
アメリカに来てから自分を主張しないとこの国では生きては行けないと言う事をまず学んだ。見 ず知らずの人とでも会話をする人種だ。そんな定義はあまり日本では成り立たない。はっきりとした自分の意見や考えを持つ事。自信を持つ事。それが無い限りは人は目を向けてくれない。演劇なんか特にそうだ。ステージに立つ時は自分との戦いだ。そんな中で人間として生きていく大事な事を学んで行った。演劇は面 白かった。まさにHead Fakeだ。それを通じて自分が学んでいたことなんて、その時は考えない。後で振り返った時にそれに気付いた。
大 学時代から子供達に演劇を教えることになって、教育とはなにかと考え始めた。教授になるまで色んな場所で色んな人達に教える機会をもらって、沢山失敗して も何があってもやっぱり僕は先生でありたいと思っている。勝手に自我を満足させているだけかも知れない。それでもいいだろう。
Head Fakeのコンセプトは僕の教育哲学を奮い立たせてくれた。
Head Fake と言うのはバスケ等のスポーツをやっている時に守っている人に対して頭を動かして動きを騙そうとすることだ。それと教育とどう関係があるかと言うと、重要 な事を直接教えるのではなくて、それとはまったく違った物によって大事な事を教えるという事だ。スポーツや武道の教育と同じだ。古賀先生に学んだ事は僕に とってみたら英語や空手では無い。それ以上に大事な事。同じように僕もいつまでも演劇以上なものを教えていたい。
何で僕が今まで大学・大 学院をアメリカにこだわって来たかた言うのはHead Fake にポイントがあるように思える。今では考えられないが、小学校の時は作文がよく書けていた。賞をもらったこともあった。古賀道場ではスピーチも書かされ た。英語劇もやった。恥ずかしがりやな僕でもそう言う事をやらされて自己表現の大切さを学んでいたのだ。そんな教育は中学・高校に進んで行くにつれてだん だんと無くなってきた。学校が楽しかったのはせめて中学までだ。今では佐賀で有名になった進学校に通っていた僕は高校生の時に作文なんて一回も書かなかっ た。Head Fakeなんて物は存在せず、全ては大学受験に向けての物で、そんな環境で自己表現の教育なんて言ってられない。でも、そんな物を求める僕は古賀道場にずっと通っていた。でもそれだけでは足りない。僕は自分がこれから大学受験をして、二流の私立大学に入って、普通に就職して生きて行くのが嫌だった。人生 で何かがしたかった。その何かを探したかった。探す機会が欲しかった。英語はもちろん得意だったから英語圏内に高校留学をしたいと親に告げる。やはり古賀 道場に5歳から通わせてくれて両親は解ってくれた。出来るだけ良い大学に入って良い会社に入ると言う直接的な教育よりも、Head Fake的に他の事をいっぱい学びたかった。
アメリカに来てから自分を主張しないとこの国では生きては行けないと言う事をまず学んだ。見 ず知らずの人とでも会話をする人種だ。そんな定義はあまり日本では成り立たない。はっきりとした自分の意見や考えを持つ事。自信を持つ事。それが無い限りは人は目を向けてくれない。演劇なんか特にそうだ。ステージに立つ時は自分との戦いだ。そんな中で人間として生きていく大事な事を学んで行った。演劇は面 白かった。まさにHead Fakeだ。それを通じて自分が学んでいたことなんて、その時は考えない。後で振り返った時にそれに気付いた。
大 学時代から子供達に演劇を教えることになって、教育とはなにかと考え始めた。教授になるまで色んな場所で色んな人達に教える機会をもらって、沢山失敗して も何があってもやっぱり僕は先生でありたいと思っている。勝手に自我を満足させているだけかも知れない。それでもいいだろう。
Head Fakeのコンセプトは僕の教育哲学を奮い立たせてくれた。
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