刑務所訪問
セーラム州立大学の演劇学部助教授としての仕事が二つ残っていた。一つは劇「アンテゴネ」についての記事を同僚と書いていること。もう一つは今日の刑務所訪問だった。これは今までの演劇人生で最も心に残る出来事だと言ってもいいくらいだった。
セーラムから車で一時間ぐらいの所にあるMCI Framingham(フレーミングハム女性刑務所)へ同僚と学生5人を連れて訪れた。マサチューセッツ州では唯一の女性刑務所だ。身分証明書を渡し検査を受けてから、招待してくれたモウリーン修道女に連れられて色んなドアの鍵の開け閉めを繰り返しながらやっと礼拝堂に着く。7人でそれぞれ何をやるかちょっと打ち合わせをしている間にベルがなり囚人の女性達が50人程がぞろぞろとやって来た。思ったよりも笑顔が多い事で緊張がほぐれてくる。嫌々やってくるのでは無いかという不安があったからだ。
モノローグや歌を披露したりする。僕が出来る事はパントマイムだったので、壁やロープをやってみせた。転んだり倒れたりするフィジカルコメディーでも笑わせることが出来た。刑務所なので外の人の会う機会があまり無いし演劇を見る事もないので、45分くらいのパフォーマンスだけでもとても喜ばれた。残りの時間はベルがなるまで質疑応答。そして、握手をして別れて行った。みんな「ありがとう」と何度も言ってくれた。
どんな体験が出来るのか想像も出来なかったが、まず印象を受けたのは彼女らが明るかったことだった。観客(?)と役者のつながりに偽りは無く、笑う時は思いっきり笑って、真剣に聴く時はしーんとしてくれて、純粋にこの一時間を楽しんでくれているのがはっきり伝わってきた。たいした事はやれなかったのに、演劇でこんなに感謝された事が今まであっただろうか。彼女達には自由がない。アイスクリームの味も忘れているくらいに。そんな中で、一生懸命生き抜こうとしているのがはっきりと感じられた。
与える事ができたのは時間とちょっとした芸だけだったが、それよりも僕が貰ったもののほうが大きかった。考えさせられた。人間としてちょっと学んだ。
どんな理由があったにしても囚人達は一般的に忘れられやすいし、普通の人達は考えもしないだろう。刑務所に入っているから悪い事をしたのだし、それを償う事は当然だと思っているだろう。だが、僕らとそんなに違うの人達なのだろうか?たまたま運が悪くて入っているのかも知れないし、凄く反省している人もいるはずで、そんな人達はいずれは許されるべきなのだろうか?本当に悪い人って存在するのだろうか?
自分が演劇を通じて出来ることは、普通の観客や学生だけを相手にするのでは無く、他にも可能性があるのだと思った。演劇を通じて「夢」や「希望」を囚人達に与える事に意味があることがわかった。どんな人間であろうと演劇で通じ合えるものがあるのだと思う。それが演劇の力だから。
僕がこの仕事の最後にあの場所に行く事ができたのはこれも運命で、自分の力以上の宇宙に動かされているような気がする最近は刺激を受けることが続いている!これから、またコスタリカでの出会いも想像もつかないが、孤児達の心と瞳にまた感動をするのだろうと思うだけにしておこう。
セーラムから車で一時間ぐらいの所にあるMCI Framingham(フレーミングハム女性刑務所)へ同僚と学生5人を連れて訪れた。マサチューセッツ州では唯一の女性刑務所だ。身分証明書を渡し検査を受けてから、招待してくれたモウリーン修道女に連れられて色んなドアの鍵の開け閉めを繰り返しながらやっと礼拝堂に着く。7人でそれぞれ何をやるかちょっと打ち合わせをしている間にベルがなり囚人の女性達が50人程がぞろぞろとやって来た。思ったよりも笑顔が多い事で緊張がほぐれてくる。嫌々やってくるのでは無いかという不安があったからだ。
モノローグや歌を披露したりする。僕が出来る事はパントマイムだったので、壁やロープをやってみせた。転んだり倒れたりするフィジカルコメディーでも笑わせることが出来た。刑務所なので外の人の会う機会があまり無いし演劇を見る事もないので、45分くらいのパフォーマンスだけでもとても喜ばれた。残りの時間はベルがなるまで質疑応答。そして、握手をして別れて行った。みんな「ありがとう」と何度も言ってくれた。
どんな体験が出来るのか想像も出来なかったが、まず印象を受けたのは彼女らが明るかったことだった。観客(?)と役者のつながりに偽りは無く、笑う時は思いっきり笑って、真剣に聴く時はしーんとしてくれて、純粋にこの一時間を楽しんでくれているのがはっきり伝わってきた。たいした事はやれなかったのに、演劇でこんなに感謝された事が今まであっただろうか。彼女達には自由がない。アイスクリームの味も忘れているくらいに。そんな中で、一生懸命生き抜こうとしているのがはっきりと感じられた。
与える事ができたのは時間とちょっとした芸だけだったが、それよりも僕が貰ったもののほうが大きかった。考えさせられた。人間としてちょっと学んだ。
どんな理由があったにしても囚人達は一般的に忘れられやすいし、普通の人達は考えもしないだろう。刑務所に入っているから悪い事をしたのだし、それを償う事は当然だと思っているだろう。だが、僕らとそんなに違うの人達なのだろうか?たまたま運が悪くて入っているのかも知れないし、凄く反省している人もいるはずで、そんな人達はいずれは許されるべきなのだろうか?本当に悪い人って存在するのだろうか?
自分が演劇を通じて出来ることは、普通の観客や学生だけを相手にするのでは無く、他にも可能性があるのだと思った。演劇を通じて「夢」や「希望」を囚人達に与える事に意味があることがわかった。どんな人間であろうと演劇で通じ合えるものがあるのだと思う。それが演劇の力だから。
僕がこの仕事の最後にあの場所に行く事ができたのはこれも運命で、自分の力以上の宇宙に動かされているような気がする最近は刺激を受けることが続いている!これから、またコスタリカでの出会いも想像もつかないが、孤児達の心と瞳にまた感動をするのだろうと思うだけにしておこう。
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