ラストスパート
残り一週間を切った。車も売った。家具も減った。持って帰る荷物は箱に詰めていて、クロネコヤマトが月曜日の朝に取りに来てくれる。セーラムを出発するのは火曜日。やることが多くて感情的にブロックしている自分がいる。後からどっとやってきそうだが、今はまだ平気だ。
僕は大人になってからのほとんどの時間をアメリカで過ごしていた事に気付く。長かったこの13年間。実は古賀道場からは2回旅立ちをしていて、1994年にアラスカ大学に行く時と2001年にタウスン大学院に行った時だ。荷物をまとめていたら寄せ書きが書かれたTシャツが2枚出て来た。違うメンバーがそれぞれ書いてくれた言葉が改めて身にしみる。
1994年のTシャツではいつ子さんの言葉にすぐに目を止めた。
「道場第一期生として大きくはばたいて...そしてまたきっともどってきてくださいね。その時、私はもしかしたらまだ、ここにいるのかも...」
6年後に確かに僕は古賀道場に戻って行った。大きくはばたくことは出来なく、不完全燃焼で帰って行ったあの時は他に行き先がなかったのが事実だった。いつ子さんはもう居なかったが...
2001年のTシャツでは法子ちゃんの言葉が印象的だった。
「今度会うときはお互いに夢がかなっていることをいのっています。」
僕の夢は叶った。だからもう今回帰っても良いと思えることが出来たのだろう。法子ちゃんは今どこで何をしているのだろうか...
今回の機会が無かったらまだ道場に帰ることは無かったかのかも知れない。人生は常にアドベンチャーだ。大学院に授業料免除で行けた事も、子供達に演劇を教える仕事をしたことも、助教授になれたことも、全ては運が良かっただけで、演劇にたまたま出会った大学時代にはここまで続けられるとは思ってもいなかった。
ラストスパートに入った。もうここに留まる必要がなくなったのだから美しく旅立って行きたい。
僕は大人になってからのほとんどの時間をアメリカで過ごしていた事に気付く。長かったこの13年間。実は古賀道場からは2回旅立ちをしていて、1994年にアラスカ大学に行く時と2001年にタウスン大学院に行った時だ。荷物をまとめていたら寄せ書きが書かれたTシャツが2枚出て来た。違うメンバーがそれぞれ書いてくれた言葉が改めて身にしみる。
1994年のTシャツではいつ子さんの言葉にすぐに目を止めた。
「道場第一期生として大きくはばたいて...そしてまたきっともどってきてくださいね。その時、私はもしかしたらまだ、ここにいるのかも...」
6年後に確かに僕は古賀道場に戻って行った。大きくはばたくことは出来なく、不完全燃焼で帰って行ったあの時は他に行き先がなかったのが事実だった。いつ子さんはもう居なかったが...
2001年のTシャツでは法子ちゃんの言葉が印象的だった。
「今度会うときはお互いに夢がかなっていることをいのっています。」
僕の夢は叶った。だからもう今回帰っても良いと思えることが出来たのだろう。法子ちゃんは今どこで何をしているのだろうか...
今回の機会が無かったらまだ道場に帰ることは無かったかのかも知れない。人生は常にアドベンチャーだ。大学院に授業料免除で行けた事も、子供達に演劇を教える仕事をしたことも、助教授になれたことも、全ては運が良かっただけで、演劇にたまたま出会った大学時代にはここまで続けられるとは思ってもいなかった。
ラストスパートに入った。もうここに留まる必要がなくなったのだから美しく旅立って行きたい。
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