Note of Destiny
久しぶりにある知り合いのブログを読んだ。その文脈から伺える感性が素敵に思えた。真似なんかできるわけではないが、こんな風に表現できるのはいいなあって単純に思った。
日本語の文章を書き始めたのも、このブログの持ち主とたまたま再会をしたことがきっかけだ。影響をされてブログを書き始めた。当時はあまりにもダイレクトに書く僕の文章に失笑されたり、日本語の表現が少しおかしかったこともあり、よくツッコまれたものだ。(今でも?)
日本で演劇をやっていく上で、必要性にかられて劇作をするようになった。本当の戯曲家からすれば、あまりにアマチュア過ぎるかもしれない。だが、経験を重ねていくたびに日本語の意味の深さやシンプルさとの感動の出会いの連続だった。日本語って改めて素晴らしいと思えるようになった。帰国するまでは、日本語を使って仕事なんてしたこともほとんど無かったのだから、3年3ヶ月前の僕には想像も出来なかったことだ。
「佐賀空襲」「恊働おもしろ大百科」「インターネット情報モラル啓発劇(短編4つ)」は僕の作品で、「狂騒的集団夜」とミュージカル「とうげのおりゅう」は共同で書いた。そして、最近書き上げたミュージカル「いのちのおはなし」に至ったわけだ。今年も、新しい「インターネット情報モラル啓発劇」もこれから劇作する予定だ。
古賀英語道場の高校生のクラスでは、今年の英語劇を生徒達と一緒に書いている。そして、英語にするわけだが、ここで僕の長年のアメリカ演劇の経験が生かされる。口語的な台詞はすぐにぱっと頭に浮かんでくる。なかなか普通の授業では教えることが出来ないというか、授業では思いもつかない表現が出てきたりして面白い。生徒も楽しんでくれている。本当に中学校英語までしっかりとやれば、後はどれだけ応用をきかせて言語のセンスをみがくいていくかということが英語を本当に使えるようになる鍵ではないだろうか。幸い、演劇というものは、最適な方法だったりする。
劇作をするようになったから今の自分がある。活動できる場所や人達とも出会えたのだと思うと、僕に日本語の文章も書くきっかけを与えてくれた人に感謝している。
Best regards to the author of "Note of Destiny" who has changed my life.
日本語の文章を書き始めたのも、このブログの持ち主とたまたま再会をしたことがきっかけだ。影響をされてブログを書き始めた。当時はあまりにもダイレクトに書く僕の文章に失笑されたり、日本語の表現が少しおかしかったこともあり、よくツッコまれたものだ。(今でも?)
日本で演劇をやっていく上で、必要性にかられて劇作をするようになった。本当の戯曲家からすれば、あまりにアマチュア過ぎるかもしれない。だが、経験を重ねていくたびに日本語の意味の深さやシンプルさとの感動の出会いの連続だった。日本語って改めて素晴らしいと思えるようになった。帰国するまでは、日本語を使って仕事なんてしたこともほとんど無かったのだから、3年3ヶ月前の僕には想像も出来なかったことだ。
「佐賀空襲」「恊働おもしろ大百科」「インターネット情報モラル啓発劇(短編4つ)」は僕の作品で、「狂騒的集団夜」とミュージカル「とうげのおりゅう」は共同で書いた。そして、最近書き上げたミュージカル「いのちのおはなし」に至ったわけだ。今年も、新しい「インターネット情報モラル啓発劇」もこれから劇作する予定だ。
古賀英語道場の高校生のクラスでは、今年の英語劇を生徒達と一緒に書いている。そして、英語にするわけだが、ここで僕の長年のアメリカ演劇の経験が生かされる。口語的な台詞はすぐにぱっと頭に浮かんでくる。なかなか普通の授業では教えることが出来ないというか、授業では思いもつかない表現が出てきたりして面白い。生徒も楽しんでくれている。本当に中学校英語までしっかりとやれば、後はどれだけ応用をきかせて言語のセンスをみがくいていくかということが英語を本当に使えるようになる鍵ではないだろうか。幸い、演劇というものは、最適な方法だったりする。
劇作をするようになったから今の自分がある。活動できる場所や人達とも出会えたのだと思うと、僕に日本語の文章も書くきっかけを与えてくれた人に感謝している。
Best regards to the author of "Note of Destiny" who has changed my life.
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