無謀な計画
仕事が終わったのは23時ぐらいだった。仕事場では夢学の夏祭りだったし、ある子供が虫に刺されて病院にいったり、韓国人の学生達やホストファミリーが夢学の子供達と交流したりして、人口密度が高く慌ただしい一日だった。
そして、無謀な計画が始まった。
最終の特急電車で博多まで行き、「変人会」に参加した。佐賀に戻って出会ってからすでに2回も一緒に飲んでいるrndさんから誘われ、もう2人は初対面と言うメンバーでの飲み会。一人は英語、ヘブライ語、スペイン語が話せる同時通訳/翻訳家。もう一人は裏の世界も知ってるような某ゼネコン社員。変な人に会えると言うことで誘いにホイホイとのってしまい、博多からは夜明けまで帰れない僕は飲み明かすことになった。一軒目は3時まで、2軒目は5時まで。変人達の話しは面白かったし、色んな意味で知っていると何かにこれからつながるような人達だった。
そして朝一番の特急電車で佐賀に帰ってきたのは7時半。急いでシャワーを浴びて、8時には夢学のキャンプのための布団干しを手伝うことになっていたので、sgrさんと僕の義理の兄のky兄さんと富士町に出掛けた。
Sgrさんにもろに「飲んだくれとろう?」と言われた僕は当然酔いがさめているわけがなかった。行きの車のなかでは取り合えず暴睡。着いてから一回目の布団を干したら、もう起きていることは出来ずに、また撃沈していった。起きてはまた少し手伝い、また眠る事を繰り返した僕は、はっきり言って使い物にはならなかっただろう。申し訳なかった。飲み明かして、次の日に肉体労働をしようと思っていた僕は無謀で無様だった。
やっと酔いがさめたのは昼の12時ぐらい。少しだけ元気になったが、やっぱりちょっと不調。富士町での作業を終え、昼寝を少しだけとり、次は「いのちのまつり」の稽古に出掛けた。最初は集まりは悪かったものの、一応全員集合で、セリフを忘れていた箇所もたくさんあったが、何とか歌も踊りも含めて最初の通し稽古をすることが出来た。まだまだ、課題があるが進歩はしていると思った。
芝居に関わっていると自然にエネルギーが湧いてきた。どんな形でも良いわけで、演劇をしている自分は自分を素直に好きでいられるのだと思う。
とっても内容の濃いい2日間は長かった。
そして、無謀な計画が始まった。
最終の特急電車で博多まで行き、「変人会」に参加した。佐賀に戻って出会ってからすでに2回も一緒に飲んでいるrndさんから誘われ、もう2人は初対面と言うメンバーでの飲み会。一人は英語、ヘブライ語、スペイン語が話せる同時通訳/翻訳家。もう一人は裏の世界も知ってるような某ゼネコン社員。変な人に会えると言うことで誘いにホイホイとのってしまい、博多からは夜明けまで帰れない僕は飲み明かすことになった。一軒目は3時まで、2軒目は5時まで。変人達の話しは面白かったし、色んな意味で知っていると何かにこれからつながるような人達だった。
そして朝一番の特急電車で佐賀に帰ってきたのは7時半。急いでシャワーを浴びて、8時には夢学のキャンプのための布団干しを手伝うことになっていたので、sgrさんと僕の義理の兄のky兄さんと富士町に出掛けた。
Sgrさんにもろに「飲んだくれとろう?」と言われた僕は当然酔いがさめているわけがなかった。行きの車のなかでは取り合えず暴睡。着いてから一回目の布団を干したら、もう起きていることは出来ずに、また撃沈していった。起きてはまた少し手伝い、また眠る事を繰り返した僕は、はっきり言って使い物にはならなかっただろう。申し訳なかった。飲み明かして、次の日に肉体労働をしようと思っていた僕は無謀で無様だった。
やっと酔いがさめたのは昼の12時ぐらい。少しだけ元気になったが、やっぱりちょっと不調。富士町での作業を終え、昼寝を少しだけとり、次は「いのちのまつり」の稽古に出掛けた。最初は集まりは悪かったものの、一応全員集合で、セリフを忘れていた箇所もたくさんあったが、何とか歌も踊りも含めて最初の通し稽古をすることが出来た。まだまだ、課題があるが進歩はしていると思った。
芝居に関わっていると自然にエネルギーが湧いてきた。どんな形でも良いわけで、演劇をしている自分は自分を素直に好きでいられるのだと思う。
とっても内容の濃いい2日間は長かった。
コメント