春に想う

別れと門出の季節になると、僕は虚しさを感じることが多い。なぜなら、僕は英語教室を営んでいるわけだが、塾では無いので優先順位が必然的に低いことを知らされるからだ。
  1. 学校
  2. 部活
  3. 習い事
しかも、習い事の中でも「英語」というものは学校の成績とも関係してくる。そうなると、習い事よりも塾に近い存在になり、英語が使えるようになることよりも、テストでいい結果を残す事を求められるようになってくる。

そういう生徒さんたちは、だんだんと辞めていく結果にあるのだが、僕のビジネス運営の観点から考えると、塾としての期待にも答えなくては経営がままならない。目の前の学校の成績や受験などのことを目標としていないので、即効性のある効果は出ないかも知れない。だが、その先のことを考えると、英語を使えるようになることの方が大事なは明らかではないだろうか。

「何故にそれに気づいてくれない?」

これだけ、グローバルな世の中になり、これからTPPなどの関係もあり、もっと国際化が進むであろう。将来的に日本にはもっと外国人が働くようになり、日本人ももっと海外で仕事をするようになるだろう。だったら、子ども達は今から英語を使えるようなっことを少しづつやっていかなくては、手遅れになってしまう。国をあげて、脱受験英語宣言をして、英語力の底上げをしていかなくては、日本は他のアジア諸国に追い抜かれ、取り残されていくであろう。

昨年から、英語キャンプ「Global Education Project」の取り組みを始めた。外国人を相手に英語を実際に留学したように体験をするプログラムである。英語を使う目的と理由に気づく素晴らしいものだ。これから英語を使えるようになりたいと思うきっかけを与えてくれるに違いないし、毎年参加することで自分がどれだけ英語を使えるようになったかを確かめるチャンスになっている。

それなのに...一年前ぐらい前から予定をして告知をしたのに...塾の合宿を優先させることに虚しさを感じる。大学受験なら、まだしも、まだ小学生や中学生なのに塾を少し休んでもちょっと頑張れば取り替えしがつくはずである。GEPは年に一回しかないチャンスなのに、もったいなくて仕方がない。

英語教育の矛盾と戦う日々は続くのである... 

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