英語教育という矛盾
英語を使えるようになると言う目的で英語を学習するのであれば、英検などはいらない。はっきり言って使える基準を計ることなんてできないからだ。英検を持っている人で英語を使えない人はいっぱいいる。
学校の英語のテストだってそうだ。受験もそう。穴埋め、並び替え、発音の一致など、全部無意味だ。これは英語が不得意な人達が点数をかせぐためにあるのだ。
それに、あれだけ大学受験で勉強した英語を覚えている人達がどれだけいるだろうか。今まで中学から大学まで10年間勉強した人達の中で、どれだけ英語ができる人がいるだろうか?長く続いているALT制度が結果を出しているのか?学校の教育だけで英語でできるようになった人達が今まで何人いるだろうか?
それでも、一般的に求められるのはテストで点が取れたり、英検を取得することである。何故、そんな目先のことしか見えないのか?本当に英語を使う道具だと体験して理解することの方が大事ではないのか?人前で英語を話せたり、英語表現が上手になることがよっぽどいいではないか?
僕は毎日、「この何故」と戦う。
学校の英語のテストだってそうだ。受験もそう。穴埋め、並び替え、発音の一致など、全部無意味だ。これは英語が不得意な人達が点数をかせぐためにあるのだ。
それに、あれだけ大学受験で勉強した英語を覚えている人達がどれだけいるだろうか。今まで中学から大学まで10年間勉強した人達の中で、どれだけ英語ができる人がいるだろうか?長く続いているALT制度が結果を出しているのか?学校の教育だけで英語でできるようになった人達が今まで何人いるだろうか?
それでも、一般的に求められるのはテストで点が取れたり、英検を取得することである。何故、そんな目先のことしか見えないのか?本当に英語を使う道具だと体験して理解することの方が大事ではないのか?人前で英語を話せたり、英語表現が上手になることがよっぽどいいではないか?
僕は毎日、「この何故」と戦う。
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