どこまでも感動屋

まさかの出来事である。

創りあげている途中なのに、芝居の通し稽古で涙を流してしまった。何かいろんな物が込み上げてきて、感動した。

今回の劇は自殺をテーマにしている。だからこそ、台詞の言葉の意味が深い。重い。

中高年の方々がステージがお芝居をすると、何十年も培ってきた経験が滲み出て来る。味がある。テクニックとかでは無くて、何か伝わってくるものがある。ステキな瞬間に出会える。

明日は小屋に入り、本番の準備をするのだが、ここまで来るのは長かった。まだ、ゴールでは無いが、ゴールに入るイメージが湧いて来た。見えた。

多久ミュージカルの時もそう。ある時、ふと着地点のイメージが浮かび上がる。そのイメージを現実にするために頑張れる。

馬鹿な感動屋は23日の本番の日にはまたもや泣くのであろう(すでに泣いてるし...)。みんなともっともっとい〜っぱい感動できるように演劇を続けて、いつまでも感動し続けたい。死んでも、感動し続けたい。

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