ある人の死

数時間が経って目が覚めた。Esiabaの事を考えていた。

自分にとっては遠い存在にある人が亡くなった。享年49歳の若さで癌だったそそうだ。遠い存在だったのに衝撃を受けている。何故だろうと考えたら、彼の印象が激しかったからだろう。

Dr. Esiaba Irobiと言うメリーランド州のタウソン大学院の時に居た演劇学部の教授で、僕は直接講義を受けたことはなかった。だが、何らかの関係があり、詩人でもある彼の家で行われていた詩の朗読会に参加したり、彼が演出するプロセスを見学させてもらったりした。

その当時、大学院生の僕は彼と会話が成り立たなかったのを覚えている。何故かというと、レベルが違いすぎて、引用してくる内容な例に追いついていけなかったのだ。経験値と勉強量があまりにも違いすぎた。圧倒的に彼が上で、僕はこの人に何を言っていいかわからなかった。それでも、彼は僕の熱い思いだけは理解してくれたのか、呼び出されたり誘いがあったりした。

その当時、彼が教えていたのは演劇学部に通う大学生達であり、大学院生であった僕でさえも、彼の言っていることが理解できないのに、大学生達は大変だっただろうと思う。確かに良く「クレイジー」だと言われていたが、だれでもみんなそれを「頭が良過ぎるクレイジー」だと意味をしていた。沢山の学生に影響を与えたに違いない。いつもエネルギッシュに熱く語る姿が目に浮かんでくる。

ナイジェリア出身で、イギリスで教育を受け、影響力のある芝居や詩を書くアーティストは国内から逃亡する身になった。ナイジェリアに帰れないのが辛いと語っていたのを思い出す。

ある日、IKEAに車で連れていったことがある。その中での会話を鮮明に覚えている。Esiabaは「アメリカはどの町に行っても風景は一緒だ。モールやお店や道路の建て方も全部一緒だ」と言った。確かにそうだ。これが同じであることでアメリカ人は安心するのだ。彼は続けて「同じものがどこに行っても手にはいることはおかしい」と言った。改めて考えてみると変なものだ。「全てはコマーシャリズムの洗脳だ」と彼は言っていた。いつも社会の中にいながら、一つ外の視点から見ているような人だった。それをアートと言う形で表現していたのだ。

沢山の作品を残して行ったEsiabaが亡くなったことは世界的なニュースになっている。そうでなかったら、日本の田舎に住んでいる僕の所まで知らせは届かない。ニュースの記事に写真も載っていた。元気なその姿が空しく感じられた。

“He leaves behind a body of work that will stretch his influence beyond his passage.”と記事の最後に書かれていた。

僕は偉大な国際的演劇家と関わりがあったのだと思った。世界を駆け巡りインスピレーションを人々に与え続け、そして散っていった。僕もその影響を受けたうちの一人であった。決して彼とは同レベルではないが、同じ様に演劇で世界を志した一人として、人生を全うしなくてはならないと思った。

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