映画「靖国」
やっとこの映画が佐賀で上演された。シエマと言うちょっと変わった映画を上映する映画館で見る事が出来た。とても複雑なトピックであり、僕もしばらく見た後に心の中で消化する時間が必要だった。
やはり僕の反応は怒りである。僕には地球平和という望みがある。だから戦争はどんな形でも肯定できない。それは今僕が置かれている状況だから言える事だと良く理解しているつもりだ。
戦争をしたく無いと言う考えが戦争を起こすと誰か賢い人が言っていたのを思い出した。
戦争と言う名の元で100人切りを日本刀でした軍人が英雄になるのはおかしいと思う。敗戦により、そんな軍人は死刑の罰を与えられた。しかし靖国神社では英霊として祀られたのだ。天皇陛下のために死んだからである。戦後の天皇は現人神を否定したわけだが、それなのに英霊として合祀の対象になるのは宗教的な考え方からすると間違っていると思う。
何よりも複雑に心に残ったのは刀職人だ。日本軍が戦時中に使った刀を作り続けた職人はどんな思いで作っていったのだろう。その刀がどのように使われたか知っていても、それでも作り続けた。刀と言う武器に魅かれるものは何だったのだろう。
日本人である事とは、どう言う事なのだろうか。いま一度見直さなくてはいけない、そんな気持ちにさせる映画だった。
やはり僕の反応は怒りである。僕には地球平和という望みがある。だから戦争はどんな形でも肯定できない。それは今僕が置かれている状況だから言える事だと良く理解しているつもりだ。
戦争をしたく無いと言う考えが戦争を起こすと誰か賢い人が言っていたのを思い出した。
戦争と言う名の元で100人切りを日本刀でした軍人が英雄になるのはおかしいと思う。敗戦により、そんな軍人は死刑の罰を与えられた。しかし靖国神社では英霊として祀られたのだ。天皇陛下のために死んだからである。戦後の天皇は現人神を否定したわけだが、それなのに英霊として合祀の対象になるのは宗教的な考え方からすると間違っていると思う。
何よりも複雑に心に残ったのは刀職人だ。日本軍が戦時中に使った刀を作り続けた職人はどんな思いで作っていったのだろう。その刀がどのように使われたか知っていても、それでも作り続けた。刀と言う武器に魅かれるものは何だったのだろう。
日本人である事とは、どう言う事なのだろうか。いま一度見直さなくてはいけない、そんな気持ちにさせる映画だった。
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