あきらめと我慢
自分自身が間違ったことをせずに正直に生きていたら、きっと周りの人もそうしてくれる。そう信じたい。信じなくては希望が無い。だが、モラルの違いが人にはある。僕が正しいと思っていることが、間違いだったり。間違いだと思っていることが、正しかったりする。普通と言う基準があり、それを覆すようなことに直面した時に、僕はどうしていいかわからない。
その時に、あきらめることも大事なのかも知れない。常に理想を考えて今まで生きて来た。もちろん挫折も味わったこともある。だが、あきらめると言うことをあまりしない性格だからこそ、理想を描いてしまう。あきらめることを許したくない自分がいる。
あきらめないのなら、我慢しなくてはならない。コントロールできないことに対して我慢して耐える。だからこそ、きっと今のままで続けられる。我慢していることを伝えることも無くずっと我慢する。出そうになったら、押しこめる。
どうしようもできないことにこだわるのではなく、他の事に矛先を向ければいいことだろう。
その時に、あきらめることも大事なのかも知れない。常に理想を考えて今まで生きて来た。もちろん挫折も味わったこともある。だが、あきらめると言うことをあまりしない性格だからこそ、理想を描いてしまう。あきらめることを許したくない自分がいる。
あきらめないのなら、我慢しなくてはならない。コントロールできないことに対して我慢して耐える。だからこそ、きっと今のままで続けられる。我慢していることを伝えることも無くずっと我慢する。出そうになったら、押しこめる。
どうしようもできないことにこだわるのではなく、他の事に矛先を向ければいいことだろう。
コメント