12月になったばい
日本に7月に帰国して5ヶ月が過ぎた。何かあっという間だったが、ブログを読んで下さっている方々はご存知のように、何だかいつもイベントだらけである。と言うか自分で自分がしたい事が出来る機会を作ろうとしているだけなのだ。もちろん人に助けてもらってばかりだが、やっている事が次の事に繋がり始めた。それがとても嬉しく感じる。
10月に行った「佐賀空襲」の寸劇がきっかけで、現場の一つとして空襲で焼かれた北川副小学校で4月から小学生と一緒に演劇を作る企画を立てている。その件で、火曜日に校長に面会しに行ってきた。そしたら、校長先生だけでは無く、教頭先生と教務主任と言う学校のビック3を相手にプレゼンをしなくてはならず超緊張したが、無事に前向きに進んで行く事になった。これも人をつなぐ事の上手いOh!No師のおかげである。校長はちょっと変わった面白い人で大賛成だと言ってくれて、2月にまずは全校集会で寸劇を演じて欲しいと頼まれた。事務所に戻り、その日の内に佐賀の演劇界では名前の知れているt.k.さんに連絡しアポを取り、寸劇だけでは無くこのプロジェクトを全体的に関わってもらう事になった。また、もう一人役者を探してもらう事をお願いしたら、なんと!その日のうちにinbさんという女優さんに承諾してもらったのだ。何て運がいいんだろうか。人脈を使っていただいたt.k.さんにには感謝するばかりだ。
このプロジェクトは演劇教育を推進する団体を設立するための最初の事業として行うつもりだ。チャレンジステージでお世話になっているbaraさんと sakeちゃんに関わってもらうことになっているし、先日インプロでお会いしたkayoちゃんにも声をかけている。また、子どもゆめ基金という助成金にも応募をしている。いずれは佐賀で演劇教育をリードしていくNPO法人をにしたいとう野心がある。
佐賀で何ができるか解らなくて漠然としていた5ヶ月前だったが、「いのちのまつり」日本語版の公演、チャレンジステージに参加、劇団0マニアックに参加、演劇ワークショップ開催、寸劇「佐賀空襲」制作と出演と言う段階を踏んで行き、フットワークを軽くして色んな人々に出会いながら、自分がこれから佐賀でやるべき事は何なのかが定まっていきているようだ。太鼓の練習と出演、空手の稽古、様々な講演会を聴きに行く事などをして考えさせられて勉強させてもらって修行させてもらいながら生きている最近であり、有り難いと常に思っています。
10月に行った「佐賀空襲」の寸劇がきっかけで、現場の一つとして空襲で焼かれた北川副小学校で4月から小学生と一緒に演劇を作る企画を立てている。その件で、火曜日に校長に面会しに行ってきた。そしたら、校長先生だけでは無く、教頭先生と教務主任と言う学校のビック3を相手にプレゼンをしなくてはならず超緊張したが、無事に前向きに進んで行く事になった。これも人をつなぐ事の上手いOh!No師のおかげである。校長はちょっと変わった面白い人で大賛成だと言ってくれて、2月にまずは全校集会で寸劇を演じて欲しいと頼まれた。事務所に戻り、その日の内に佐賀の演劇界では名前の知れているt.k.さんに連絡しアポを取り、寸劇だけでは無くこのプロジェクトを全体的に関わってもらう事になった。また、もう一人役者を探してもらう事をお願いしたら、なんと!その日のうちにinbさんという女優さんに承諾してもらったのだ。何て運がいいんだろうか。人脈を使っていただいたt.k.さんにには感謝するばかりだ。
このプロジェクトは演劇教育を推進する団体を設立するための最初の事業として行うつもりだ。チャレンジステージでお世話になっているbaraさんと sakeちゃんに関わってもらうことになっているし、先日インプロでお会いしたkayoちゃんにも声をかけている。また、子どもゆめ基金という助成金にも応募をしている。いずれは佐賀で演劇教育をリードしていくNPO法人をにしたいとう野心がある。
佐賀で何ができるか解らなくて漠然としていた5ヶ月前だったが、「いのちのまつり」日本語版の公演、チャレンジステージに参加、劇団0マニアックに参加、演劇ワークショップ開催、寸劇「佐賀空襲」制作と出演と言う段階を踏んで行き、フットワークを軽くして色んな人々に出会いながら、自分がこれから佐賀でやるべき事は何なのかが定まっていきているようだ。太鼓の練習と出演、空手の稽古、様々な講演会を聴きに行く事などをして考えさせられて勉強させてもらって修行させてもらいながら生きている最近であり、有り難いと常に思っています。
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