脱SNSへの道のり

SNSという言葉が日本で普通に聞かれるようになって久しい。だが、僕はアメリカ在住時代の2005年くらいから使い始めている。なので、かれこれ10年以上も使い続けているわけだ。特にFBはヘビーユーザーで、時には毎日のように、なんでもかんでも投稿していた。

あたかも、それをすることで誰かが喜んでくれると思い込んで...

依存しているにちがいなかった。イイねやコメントをもらうことで(もらわないことで)、一喜一憂している、そんな哀れな虚しい自分に気づいたのは、1年くらい前だ。2005年から考えると、それに気づくのが圧倒的に遅すぎる。

はっきり言うと、無駄な時間をそこに費やしてきた(いる)。

ほんとんどの場合、よほど有名人ではない限り、イイねを押してくれたりコメントをくれる人は身近な存在だ。その人たちを喜ばせる、楽しませるものでしかない。毎日会えないから、自分がやっていること、考えていること、感じていることを、その知り合いに伝えることが大切なことだと、自分のFBの投稿を肯定してきた。未だに、それをやることに喜びを感じることを信じて疑わない人も多いだろう。

だが…

これをいつまで続けるのか?

一生?死ぬまで?

SNSを使っている時間が1日の中でどれくらいあるだろうか?

僕はSNSに支配されたくはない。

スマホを見ない日、SNSをチェックしない日を365日の中でどれくらい作れるかにチャレンジしたい。時代を乗ってない、むしろ遡っていると言われるかもしれない。だけど、時間を無駄にしていること。誰かとアナログで会っている時にスマホばっかり見ていること。そんな哀れさに気づいて、何も改善の努力をしないことは、気づかないでやっていることよりも、さらに悪いと思う。

今年の1月から投稿は一気に減らした。1か月に多くて2回くらいにまでなった。そしてはそれは継続している。なんでもアップしたい衝動に、未だに駆られるが、修行が足りないだけだと思っている。

だが、投稿を読む誘惑に負けてしまうことが多い。1日、読まなかった日は、1月〜7月で、残念ながらまだ数日しかない。それでは全くダメだろう。時間を無駄にしているいちがいない。その時間に本が何冊読めただろうか…。きっと何かをもっと学ぶことができただろう。運動をして痩せることができただろう。リラックスしてメンタルヘルスを向上させることができただろう。

人間はいつの時代も、依存させてしまう魔物を作り出してしまうのかもしれない。

脱SNSへの道のりは長く、過酷だ。

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