新たな挑戦への一年にしたい
新年あけましておめでとうございます。このブログをご観覧いただいていている各地の皆様に、あらためてここで感謝の気持ちをお伝えいたします。
昨年末に平田オリザさんを佐賀にお招きして講演会をしていただいた。その際にシンポジウムでも、僭越ながら私、青柳は一緒に登壇した。そこで、平田さんに言われたことが無茶苦茶嬉しかったのです。
「地域人材を流出させないように、地域が青柳さんのような存在を守っていかないといけない。」
なぜ、平田さんのようなビックネームがわざわざ佐賀にヨーロッパでのお仕事を終えて直入りしてくれたのか。それはきっと平田さんのやっている「防犯と演劇」でまだやっていない、「インターネットの情報モラルと演劇」を僕らが佐賀で先行的にやっているからだ。そこに興味を持ってくださったと思っている。また、このような演劇を使った活動が首都圏のみに集中しすぎていること。これから佐賀のような地域でももっと広がるべきであること。僕と同様に本気で演劇で日本を変えようと考えていらっしゃるからだろう。
僕がこれからどこでどのように演劇家として生きていくかはわからない。そのうち本も出版したいと思っているし、全国的に有名になりたいとも思っている。演劇ワークショップの専門家として佐賀から全国へ発信できないか。地方小都市からでも演劇という分野で仕事をできること。食べていけること。僕も含めて演劇に携わる様々な人達に仕事を地域社会が与えることにより、社会的に認められ、地位をあげられること。求められる存在になることをやりたい。
今はまだそんな理想の時代ではない。しかし、僕が帰ってきた約4年半前に比べて、佐賀も変わったと感じる。演劇の仕事は、若干ギャランティはまだ安いにしても、確実に増えている。増やそうとしている。異業種の人達と出会い、話しをすることで、演劇が何かに使われる可能性は常にさがす。自分だけを営業するのではなく、演劇というものを自体を知ってもらう。身近にある存在では無かった演劇が、段々と社会で必要とされるものへと変わって行くことほど嬉しいことは無い。
平田さんは、憧れの存在である。彼が自分の世界を広げて、日本の政治にも演劇家として関わるところまで、登り詰めていったのには、莫大な努力と揺るぎない信念があるからだと思う。勝手なことかも知れないが、僕にもその同様な信念はあると思っている。それは、人材育成や教育に関係する演劇だと言える。
残りの人生、多分40年程で、僕がこの世の中に、後世のために貢献できるのか。何が残せるのか。有名になりたいというエゴが全く無いとは言えない。でも、もっと大きなこと、演劇で日本を良くするという役目を僕は担いたいと思っている。夢とかいう言葉で片付けられるものではなく、それを本当にできると信じている。
もし、40年後までこのブログを書き続けているとしたら、振り返った時に、何をこの青二才はほざいているのだろうと思うかも知れない。でも、それでいい。たとえ出来なかったとしても、信じる道を全うした人生をおくれたと思うのであれば、それだけでいい。そんな日が迎えられるように、一年一年、新たな挑戦をし続けられるようにしていきたい。
昨年末に平田オリザさんを佐賀にお招きして講演会をしていただいた。その際にシンポジウムでも、僭越ながら私、青柳は一緒に登壇した。そこで、平田さんに言われたことが無茶苦茶嬉しかったのです。
「地域人材を流出させないように、地域が青柳さんのような存在を守っていかないといけない。」
なぜ、平田さんのようなビックネームがわざわざ佐賀にヨーロッパでのお仕事を終えて直入りしてくれたのか。それはきっと平田さんのやっている「防犯と演劇」でまだやっていない、「インターネットの情報モラルと演劇」を僕らが佐賀で先行的にやっているからだ。そこに興味を持ってくださったと思っている。また、このような演劇を使った活動が首都圏のみに集中しすぎていること。これから佐賀のような地域でももっと広がるべきであること。僕と同様に本気で演劇で日本を変えようと考えていらっしゃるからだろう。
僕がこれからどこでどのように演劇家として生きていくかはわからない。そのうち本も出版したいと思っているし、全国的に有名になりたいとも思っている。演劇ワークショップの専門家として佐賀から全国へ発信できないか。地方小都市からでも演劇という分野で仕事をできること。食べていけること。僕も含めて演劇に携わる様々な人達に仕事を地域社会が与えることにより、社会的に認められ、地位をあげられること。求められる存在になることをやりたい。
今はまだそんな理想の時代ではない。しかし、僕が帰ってきた約4年半前に比べて、佐賀も変わったと感じる。演劇の仕事は、若干ギャランティはまだ安いにしても、確実に増えている。増やそうとしている。異業種の人達と出会い、話しをすることで、演劇が何かに使われる可能性は常にさがす。自分だけを営業するのではなく、演劇というものを自体を知ってもらう。身近にある存在では無かった演劇が、段々と社会で必要とされるものへと変わって行くことほど嬉しいことは無い。
平田さんは、憧れの存在である。彼が自分の世界を広げて、日本の政治にも演劇家として関わるところまで、登り詰めていったのには、莫大な努力と揺るぎない信念があるからだと思う。勝手なことかも知れないが、僕にもその同様な信念はあると思っている。それは、人材育成や教育に関係する演劇だと言える。
残りの人生、多分40年程で、僕がこの世の中に、後世のために貢献できるのか。何が残せるのか。有名になりたいというエゴが全く無いとは言えない。でも、もっと大きなこと、演劇で日本を良くするという役目を僕は担いたいと思っている。夢とかいう言葉で片付けられるものではなく、それを本当にできると信じている。
もし、40年後までこのブログを書き続けているとしたら、振り返った時に、何をこの青二才はほざいているのだろうと思うかも知れない。でも、それでいい。たとえ出来なかったとしても、信じる道を全うした人生をおくれたと思うのであれば、それだけでいい。そんな日が迎えられるように、一年一年、新たな挑戦をし続けられるようにしていきたい。
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