酔っぱらいブログなのである...

久しぶりに飲んだ。飲むと少しだけ哲学的になる僕なのだが、今日も夜中に帰る道で色んなことを思った。特にたまたま今日通った道は、僕の小学生の頃の通学路だった。

普段は考えない、昔の友人達のことを考えた。さとし、たかまさ、だいすけ、けんたろう、けいた、ひでき。今はどうなっているんだろう。もう接点が無い事がちょっとだけ寂しく感じた。一回落っこちたことがあった川があった。そのときもあいつらとは一緒に帰る途中だった。火遊びして小火を起こしたことも、お菓子づくりが上手なけんたろうのお母さんがいたことも、かわに白蛇が泳いでいるのを発見してかなりびびったことも、うさぎの飼育小屋の周りにあった人工の池になぜか鯉ではなく雷魚がいたことも思い出した。

この数え生きれないくらいのメモリは、いつまで残るのかと思ったら、僕の100歳の祖母のことを考えた。会いに行く度に昔のことを毎回話したがる。100歳生きたときの何千TBあるかわからないメモリは、亡くなったときにどこにいくんだろうか?完全に消去されてリセットされた状態で新たに生まれてくるのか。そしたら、このメモリの存在って何なんだろうか。

そして、また繰り返す。きっと永遠に。メモリは人生の間だけ蓄積されて、そしていずれ無くなる。でも、人間が開発した、USBメモリやハードディスクは人間の人生より長く存在する可能性がある。メモリが生き残る可能性がある。やがて人類が滅亡した時に、残されたメモリが宇宙人が遠い未来の生き物に発見されるのだろうか。

まだまだ生き急いでいる自分は、時の永遠の営みを愛することができないのだと思った。

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