パイオニアになること

今まで存在しなかった物事を作りたい。いつもそう思ってきた。だからこそ、佐賀という町で演劇の可能性を広げるために、これまで前例の無いことをやってきたと思っている。様々な団体を立ち上げ、継続し、そして演劇を学校に持っていったり、ワークショップを様々な場所でやってきた。演劇をやる人、続ける人、関わる人をとにかく増やしたかった。

僕は演劇に関して寛容な部分がある。それは、やってみたいと思ってやっている人に対して、それだけで素晴らしいと思うからだ。上手い下手とかはあるかもしれ無い。向いているとか向いて無いとかもあるだろう。正直、誰かが作った作品が面白くないと思ったこともある。しかし、それを否定はしない。コメントするなら、何かしらもっとこうした方がいいということを具体的に伝える。ただ単に、面白くなかったとか、ダメだとか、もっと他のやり方があるのではとか、言われても、漠然としていて今後に生かすことにはつながらない。それで、もしやめていく人がいるなら、残念なことになってしまう。つまりは、批判するならするで、constructive criticism (建設的な批判)をした方がいいと思う。そうやって、お互いに意見を言いながら高め合っていくものなのではないだろうか。 それが佐賀だけではなく、日本全体で演劇という文化がもっと定着していく道のりだと信じている。

以前は、そこに人生を掲げたいと思っていたこともあった。いろいろな意味でバランスがとれていて、僕が活動をするのを支えてくれていた人達がいた。しかし、一つが崩れ出すと、バランスが保てなくなって崩壊し始める。無論、自分がもっと犠牲になれば、それで物事は続いていくのかもしれないが、それも実は疲れてきた。

演劇をやめるわけではない。

地方にいて、演劇を生業としていくことが難しいということがわかってきた。自分の言い訳は色々できる。それに僕が都会に出て行ったとしても、きっと演劇の仕事だけで生活するのは無理だろう。演劇を社会が求めていないとか、そんなことを言っていてもしょうがない。社会を変えるのが自分の仕事だと思っていたし、今でも、それはやりたいことではあるのは事実だ。

演劇を続けていく理由。そして、演劇で何をしたいのか。ただ楽しいだけでは自己満足にしかならず、社会を変えていくことにはつながらない。社会を変えるために、演劇ができることは何か。その答えは今はなんとなくしかわかっていない。それがはっきりと見えた時に、僕は演劇だけに人生を注ぐことができるのかもしれない。見えずに、演劇を続けながらも、死んでいくかもしれない。もしかすると演劇から離れて、人生を終えるのかもしれない。

パイオニアになること。

それが演劇でできるのか。答えは演劇にあるのか。 それがわかる日がくるのだろうか。

今はまだわからない。

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