夜中3時に打ち明けること

夜中の3時。またしても眠っていないこの時間がおとずれた。幸いに明日は祭日だ。だが、起きたら仕事場に出向いて溜まった仕事でもしようと思っている。日本人は働き過ぎるな〜と思っていたら、ついついその環境にいたら、そうしてしまう自分がいる。

最近思うことがある。

今現在僕は、日本の社会を良くしたいという大きな夢の中で、僕が貢献できる3つのカテゴリーである英語教育、演劇(表現)教育、学童保育に携わっている。きっとそれでいいのかも知れないが、僕は本当は何をしたいのかとまた改めて思うようになった。

仕事として3つの団体の所属しながら、サイドで仕事として演劇活動をさせてもらっている僕は、他人から見れば「いったい何をしている人なんですか?」になってしまう。単なる欲張りであり、それぞれで求められるのならそれに答えたいという八方美人なだけなのだ。

本当は何がしたいのか?
  • 俳優になりたい。
それは今更無理だ。全てを投げ捨てることはもうできない。
  • 英語教育を通じて次世代の国際人を育てたい。
先日、小学校で英語を教えた時に「何故小学校に英語活動が導入されたか」を生徒に問いかけた。グローバル社会にこれからもっとどんどんなっていき、外国人労働者も日本でもっと増えてくるのは間違いない。また、ビジネスをするにも日本内だけのことだけを考えることは出来ない。今の不況の発端はそもそもアメリカのサブプライムローンと言われる、低所得の人をターゲットにしたローンの返済ができなくなったことがきっかけであり、そんな世界の金融状況が日本に直接的に影響を及ぼしたのだから。

コンビニのお弁当とおかずがほとんどが日本のものではなく、海外から輸入されたものだと教えたら、そんなことを気にしていた子どもはまず一人としていなかった。だが、それをこれから変えていくためにも、日本が世界の一員であることをもっと自覚するためにも、日本がいかに自立できていなくて、世界に頼って生きているのだということを、子ども達にも難しながら解ってもらいたい。

世界の一員として生きていくには英語を使うことが必要なのだ。

確かにそうだが、それを気付かせるこをもっと大規模にやりたい。日本に存在する英語教育というものに革命を起こすようなことをしたい。そもそも英語は言語であり、使えるようにならないといけない。そうなのであれば、大学受験の筆記試験も英作だけにすればいいのだ。どれだけ英語で、あるテーマについて自分の意見を言えるか。それに尽きる。文法の理解力や単語力は書く文章をみれば一目瞭然である。文章の読解力は、ある文章を読ませてから、意見を言わせることにすれば、内容を把握できているかどうかはすぐにわかる。
  • 演劇を通じて表現をできる子どもを育てたい
演劇の力は凄い。何千年前の古代ギリシャから教育のツールとして使われてきたのだから。最終的に人間と人間のコミュニケーションはアナログではなくてはならない。自殺者、引きこもり等の若者達の問題は増える一方で、演劇を使った表現教育では人の目を見ることや相手を信じるということを教えてくれる。人の気持ちになることも教えてくれる。自分が言いたい事を人の目を気にしすぎずに口にだしても良いのだと教えてくれる。

僕は決して模範になるような生き方をしてきてないし、そんなに偉い人ではないが、子ども達に伝えたいことは山ほどある。僕も恩師から教えてもらったように、誰かの恩師になり生きることの素晴らしさ、誰かのためになることの嬉しさ、平和に過ごす事の尊さを語り伝えていきたい。それが、僕にできる少しの恩返しなのだろう。何が起きるかわからない人生で、何らかの形で次に生きる人に繋ぐ事さえできれば、僕がこの世に生きたことに価値があるような気がする。意味があるようにも思う事ができるだろう。

恩師が亡くなってから3年に近づいてきたが、恩師のことを考えない日はまだ一日たりと無い。そして先生に問いかける「おいはこいでよかですか?」って。答えはもちろん返ってこないけど...。

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