矛盾の中で戦いを続けること

久しぶりにブログを書いている。

と言うのも、あの日あの場所であのタイミングで、まさかあんなことを言われようと思ってもみなかった。あの日まで午後のイベントを成功させるために必死に努力してきたこと、僕が佐賀に帰って来てからやってきたこと、毎日必死こいて休みもなく頑張っていることが全て否定された。

胸に深く傷を負った。そしてブログを書くのも嫌になった。だが、傷を負ったあとは、ただただ腹が立って仕方がなかった。

いったい何をしようとしているのか。

もう小さい戦いはしたくは無いと言うのが本音である。

英語をビジネスの一つにしているのだが、この国で英語を教えることの矛盾に悩みを抱える毎日だ。英語を使えるようになるには、従来の英語教育ではダメだとず〜っと言われ続けているにも限らずに、システムは大して変わらない。小学校英語活動が来年度から必修化されるというが、これは決して教科では無く、ただの活動なのであり成績もつけるわけでも無く、英語はあまり使えない話せない小学校先生達が英語を実質教えることが、果たして上手くいくのだろうか。それに、凄くお金のかかるALTが本当に結果を出しているだろうか。学校英語教育だけで高校生卒業の時点で英語を使えるようになった生徒が果たして今までいるだろうか。受験という名の元、くだらない穴埋めテストをやったりして、本当の英語力がわかるというのか。英作文とリスニングだけをさせれば、どれくらい英語ができるなんて一発でわかる。他の国を見たらもっと良い方法はあるはずだ。それなのに、上手くいかないとわかっているのに、なんで変えることができないのか。本当にこれから英語が必要なのであれば、受験というシステムから英語を切り離して考えないと、英語を使える子どもたちは育っていかない。

危機感を感じているのは僕だけなのか。

僕は自分の中で矛盾した生き方をしたくは無い。もし、僕がやりたい、またやろうとしている本当に英語が使える教育を社会が求めているのであれば、やる意味があるのだろう。少数の理解のある人だけが求めるのであれば、それは価値があるものと言えるだろうか。それはビジネスセンスのせいだとか、見せ方のせいとは言えないと思う。

「英語くらい出来た方がいい」「これからは国際化が進むから」など言う大人達が本当に英語が必要性の意味を理解しているのだろうか。英語がすぐにできるようして欲しいと言う人もいる。そんなに簡単にできるうようにはならない。コツコツとやるしかない。一年足らずで結果なんて出はしない。

足を踏み入れた以上は、矛盾の中であまり先々の見えない戦いを続けるしかないのか。

それとも他の選択肢があるのだろうか。

コメント

人気の投稿